(1)評価システムは、人事制度の一つのツールです。人事制度自体は、労働力への投資効率を高めることが本来の目的です。言い換えると、成果を上げ、業績を上げることができるように、パフォーマンス・生産性を高め、人材の競争力を高めることが目的です。
労働力(すなわち「人」)を必要としない事業であれば、そもそも、給与の支給等、労働力への投資が存在しないため、人事制度や評価システムは必要としません。
ここでは、当然労働力を必要とすることを前提に話を進めます。
(2)オーナー企業では、評価の物差しが社長の個人的な好き嫌いになっている場合が多いのではないでしょうか。
それが良いとか悪いということではなく、それが、果たして労働力への投資効率を高める効果的な評価となっているのでしょうか。
社長の本音は、儲けたい、利益を出したい、無駄な金は払いたくない、といったところだと思います。
ならば、一つ冷静になり、今行おうとしている評価が、その者を活かし、結果的に儲けることにつながっているのかを考えてみる必要があります。
(3)オーナー企業でなくとも、評価システムを考える際、評価する対象がその評価システムに馴染むものかどうかという問題があります。
評価対象は、各自個性を持った存在であるのに、評価システム自体が会社のための一方的、画一的なものだとしたら、果たしてどうなるでしょうか。
その評価システム自体を「合理的でない」という印象を持つでしょう。本人が納得いかない状態で、賃金などの処遇が決定されることになってしまいます。本来、合理的、客観的なはずのものが非合理と受け止められる結果になりかねません。
(4)今までは、評価システムを導入することで、賃金にその結果を反映させ、払うべき人には払い、そうでない人には払わないという「公平」な処遇をするという大義名分の下、実は人件費を抑制しようという目的がありました。
本来の目的が社員の本音の部分に響くのか、社員の間では「賃金引下げの道具」ではないかとの見方が広まっているところです。
評価システムの導入により、少数の勝者を産み出す反面、多数の敗者を産み出してしまいました。いわゆる、勝者と敗者の選別に終わってしまっており、会社の評価システムに対する社員の不信感は非常に根強いものになっています。
(5)会社側の認識も、社員側の受け取り方も、評価システムは単に賃金を選別する制度の一部としてとらえる傾向があります。
互いにこのように位置づけている限り、その評価システムは両者の利害の狭間で力を失ってしまい、効果的に作動することができなくなります。
もうそろそろ、評価システムを、賃金選別制度を飲み込みつつ超えていき、社員の能力・キャリア開発を支援する人材育成・活性化ツールとして、両者の利害が一致するように再定義をする時期が来ています。
難しい言葉を使うと、評価と精算払い的賃金との連動性を弱め、その代わりに先行投資・育成的賃金との結びつきを強めて行くことです。
(6)人件費の原資に限りがあることには、何も変わりありません。しかし、その範囲において評価システムをとらえ運用していくのは、あまり意味のあることではありません。もっと可能性のある意味付けを持たせることで、現状の評価システムの閉塞感を打破し、評価システム自体の生産性を改善しましょう。